甘いもの恐怖症8



志保は藤川が換えてくれた温かいコーヒーに口をつけた。
鼻に香りが通る。

「お仕事のお邪魔してしまいましたか?」
「いいや、14時ごろに終わって暇してたんだ。」
「今日はちょっと遠方のお客さんでね。そこに行く日は他は入れないんだ。」
「どちらまで行かれてたんですか?」
「那須塩原。」
「え!車でですか?どれくらいかかるんですか?」
「う〜ん。混み具合で変わるけど、3時間くらいかな。」
「最初は新幹線で行ってたんだけど結局、車がないと動けないんだよね。」
「あちらは寒かったですか?」
「日が高いうちに出てきたから、そうでもなかったよ。」
「今頃は紅葉がきれいでしょうね。」
「うん。きれいだったよ。今週末、行ってみない?」
は!として顔を上げると藤川が志保の顔をのぞき込んでいた。
「あ、・・・。」
息が止まる。
藤川の目は、優しく、しかし真剣な熱を感じた。

だから、志保はその目を見ていられなかった。

「予定、入っちゃってるかな・・・。」
藤川の声に慎重さが伺え、志保の緊張はさらに高まる。
口が渇いて上手く声が出せない。

コーヒーに口をつけ、なんとか潤す。

カップを持つ手が震えそうになり、
必死に堪えた。
カップに集中したことと、
温かい湯気で立ち昇るアロマで少し気持ちも落ち着いた。


「いえ、そのことで、お電話しました。」
一瞬、空気が止まった感じがしたのは、志保の緊張からかどうかは、
分からなかった。
「・・・。うん。何かな?」
藤川がたばこの火を消して志保の顔を覗き込む。
志保はなおさら藤川の顔を見れなくなる。
「あの、今日、職場の上司たちの会議で、藤川さんの件が発表されたようなんです。」
「うん。」
「それで、その、社内、その話で持ちきりで、私が所属している部署でも、そうで・・・。」
「あはは、なんか大事になってるね。」
藤川の笑い声で志保に勢いが付いた。
社内が大事になっていれば、藤川と今、関わっている志保にとっては一大事なのだ。
いつの間にか腿の上でギュッと結んでいた握りこぶしにジワリと汗を感じた。
「なので、・・・もう、二人でお会いすること・・・できないんです。」
「え?」
視線が向けられていることを強く感じているため、志保は必死に腿の握りこぶしを見つめる。
息も詰まる。
でも、勢い付いた志保は止まらない。

「いろいろよくしていただいたのに、すいません。とても楽しかったです。感謝しています。」
志保は声が裏返りそうになるのを必死で我慢して言いきった。
「こんなことでお呼び立てして、すいませんでした。」


藤川は、ほんの少し宙を見て小さく唸った後、志保に問う。
「志保ちゃん、なんでそうなるの?」

言うだけ言ってしまった志保は、落ち着いている。
「なんで・・・。ですか。」
藤川の顔をちらっと見てみる。


う〜ん、・・・わからない。
怒ってるわけでもなさそう。
まぁ、そりゃそうだよね。
私なんかが『あなたと会うの、もう、よすわ。』といったところで
もっといい女性が周りにたくさんいるだろうし。

「なんでと、言われますと、その・・・、私の勝手です。ごめんなさい。」

志保にとって今の職場は自分の生活の大切な一部なのだ。
今の世の中、30歳を過ぎた事務職がそんなに簡単に転職できるご時世ではない。

「それじゃ理由が分からないよ。とりあえず、ここ出よう。場所を変えて話そう。ね。」
そういうと藤川がトレイに志保のカップも載せて身支度を整え出した。
「え、あ、はい。」
志保が止める隙も無い。

藤川は志保の支度が終わる前にトレイを返却口に返しに行ってしまった。
志保は急いで後を追う。

店を出てみると雨は上がり、道路のアスファルトは黒く濡れて、うっすら水たまりができていた。









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